先日発表された【都道府県魅力度ランキング(株式会社リクルート実施)】にて、和歌山県が総合満足度:第1位という快挙を成し遂げました。現在、観光地としての魅力に注目が集まっている和歌山県。
インタビュー前編では、和歌山市にほど近い“和歌浦の魅力”について取り上げました。その和歌浦にアートの華を添えようとしているのが、廣瀬茂之さんの運営する『和歌浦芸術区』です。新たな和歌浦の名所として、後編では「和歌浦芸術区のあゆみ」についてインタビューをもとに紹介していきます。
1999年 和歌浦に移住
2000年~2004年 アルタミラ美術館を運営
2008年~2012年 廃園になった保育園を美術館としてリユース
2012年~2014年 石泉閣を改装する構想期間
2014年~2019年 石泉閣を1人で改装
2019年12月 和歌浦芸術区 開館
Q.ギャラリーになる場所を探していた廣瀬さん。1999年、和歌浦に辿り着き、“芸術村”を作ろうと考えられました。それまでは大阪でお仕事をされていたんですよね?
店舗照明、主にデパートの店舗照明の仕事をしていましたが、その仕事を辞めて1999年に和歌浦に引っ越してきました。舞台照明や音響については、沖縄に住んでいた頃にディナーショーで学びました。
Q.和歌浦に来て初めて作られたのは、現在の和歌浦芸術区ではなかったのですね?
トンネル越えたところの右手に3階だての建物があって、そこをお借りして始めたのが、「アルタミラ美術館」です。高い展望台という意味です。スペインのアルタミラ洞窟壁画から命名しました。しかし、向かいの空き地にマンションを建設するために、私の住んでいたところを現場事務所に使いたいと2004年頃に立ち退きになったんです。
Q.その後、また別のところに?
和歌浦南のアートキューブの近くに保育園があったんですが、園児が少なくなり、廃園になりました。そちらで2008年に美術館を始めました。今の芸術区とは違って、本当に「美術館」だけのもの。作品展示と絵画販売を行っていました。しかし、2012年頃に持ち主の意向で更地にすることになりました。そして、次に開館したのが和歌浦芸術区です。
Q.今はたくさんの絵画が飾られている「和歌浦芸術区」ですが、元々は老舗旅館だったんですよね?
石泉閣(セキセンカク)という老舗の料亭旅館でした。当時の和歌山市長が『和歌浦を復活させないといかん』ということで和歌浦を再興する計画があった。そこで、新和歌浦の入口にあるこの建物を2002年から和歌山市が借り上げました。和歌浦アートキューブも、その一環で当時の不老館を和歌山市が買い取り、作られたんです。
Q.どうして廣瀬さんが借りることになったのですか?
市が借り上げた賃料が高額だったことや、スキャンダルがあったりして、裁判に発展したんです。その為、7~8年間建物が手付かずだったことと、北京オリンピック(2008)前の中国による貴金属の需要増加・価格高騰から銅線・銅管泥棒が入ったことで、館内はめちゃくちゃな状態でした。天井は雨漏り、壁もボロボロで、ゴミだらけでした。
Q.裁判が終わってからは、どうなったのですか?
2012年頃裁判が終わりましたが、旅館として営業できる状態ではなかったのです。しかし、売ろうとしても建物はそんな状態でしたから、買い手がありませんでした。ディベロッパーが確認に来た際も「旅館で天井が低く、商業施設にも使えない」と悩んでいました。そこに同行していた記者の話を聞き興味がわき、知人を介して旅館の持ち主に紹介してもらったんです。
Q.どのようなお話をされたのですか?
「ゴミを片付け、建物を使えるように数年間できれいに修復し、管理します。月々いくらかお金を渡しますので、好きなようにさせてください。寝泊りも好きにしますので・・・」と頼み込み、受け入れて貰えました。途中で契約を切られる可能性もありましたが、かけでやり始めたんです。
Q. 和歌浦芸術区の外装・内装は廣瀬さんお一人でされたと伺いましたが、修復にはどれくらいかかりましたか?
構想してから開館までは7年、建物に手を加えるのは5年間かかりました。
Q.オープンまでに挫折しそうになったことはありましたか?
建物は木造部分と鉄筋部分があって、改修が大変でした。木造部分は手をなるべく加えなくて良いようにテント村にすることも考えていたんですが、2018年に食堂を作るから半分使わせてほしいと言って来られた方がいたんです。その年、大きな台風が来てしまい、「一人では無理かな」と思ったんですね。
でも、食堂の方は「むしろやる気が出た、火がついた」とおっしゃるんです。そこで、木造部分はその方が、鉄筋部分は私が、それぞれがやるということになりました。そうして出来たのが今の“わかうら食堂”と“和歌浦芸術区”です。
Q.和歌浦芸術区はシアターもあり、絵画も展示できるので、アーティストが集まる場所になればいいですよね。また、見どころの一つに「舞台」があると思いますが、廣瀬さんはどういった利用方法を想定していますか?
広くエンターテイメント全体ですね。私の名刺をみていただいても分かるのですが、美術・音楽・舞台・映像…手広く考えています。
Q.和歌浦芸術区は入場料無料で気軽に立ち寄ることが出来るのですが、どのように運営していく予定ですか?
一つは、アート作品の販売です。インターネットを利用して全国展開していければと考えています。販売するアート作品も随時探しています。
もう一つは、『和歌浦ブロードウェイ』というショーの実施です。
私はノーギャラ、ボランティアでの出演は良くないと考えています。製品を生み出すことは、買い手がいて初めて成り立つ。そうして生産が続いていくと思うのです。出演者はお金が入るから頑張る、手を抜かない。主催者側もそれに対して意見が言える。無料で出てもらっているとそれが出来ません。和歌浦ブロードウェイをするにあたって、観光客を含むお客さんにお金を払ってもらう代わりにショーの質は良くしないといけないと思っています。
カナダのシルクドソレイユは、サーカスが基本ですが、他のものに比べ入場料が高価です。音楽、照明、オペラ、衣装もきれいにして、芸術性を高めているので、エンターテイメントショーなんですよ。ショーの付加価値を高めることで、出演者にもお金を回せて、ショーの質をより上げていくことが出来る。和歌浦ブロードウェイもそうした付加価値を高めていきたい。その為にはいろいろ試していくことだと思っています。
Q.和歌山は芸術文化に触れる機会が少ないように思います。アートスペースやギャラリーが遠いものに感じられます。芸術に関わる者として、若い世代にも伝えたいと思いますが、どうすれば広めていけると思いますか?
今はネットでもすぐに情報が手に入りますが、例えば身近な人(和歌山にいる人)が音楽や芸術で有名になるとか、賞をとるとか。「(身近な)あの子がすごいな」と注目されること、そうすれば和歌山の芸術文化が一気にあがると思いますね。東京に出て有名になった・・・というのではまた違うんです。でも、これはそんなに時間がかかることではないと思います。
前編に引き続き、芸術文化の発展や地域活性化の夢を熱く語って下さった廣瀬さん。和歌浦芸術区はその大きな第一歩です。多くのアーティストや地域の方、そして観光客の方が集い、感覚を使う“アートスポット”として定着することを願っています。
また、12月4日には和歌浦芸術区にて『第1回和歌浦ブロードウェイ』が企画されています。先日、お知らせさせて頂いたように、私たち、劇団とんこつしょうゆも記念すべきこのイベントに参加させていただきますので、ぜひご来場ください。
インタビュアー:峯奈緒香 文責:イナモトトモミ