和歌浦芸術区 廣瀬さんに聞く<前編>和歌浦の魅力

若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み

  葦辺をさして 鶴鳴き渡る       

                     山部赤人  ―万葉集―

 「和歌山」の名の由来ともなった古くからの名勝地である和歌浦。古来より和歌を多く詠まれている美しい土地です。その和歌浦湾に臨む新和歌浦への入り口に、ひときわ目を引く看板があります。

 「和歌浦芸術区」

 丁寧に出迎えて下さったのは廣瀬茂之氏。かつて、石泉閣(セキセンカク)という高級料亭であった建物を5年間の年月をかけ、たった一人で改修。2019年12月、「和歌浦芸術区」として新たなスタートを切りました。

 今回、劇団とんこつしょうゆ 峯が訪問、取材させていただきました。和歌浦の土地や和歌山の歴史、廣瀬さんの芸術への思いなどをお話し頂き前後編のインタビューにまとめました。前編では、「和歌浦の魅力」を中心に伺っていきます。

Q大阪出身の廣瀬さん、1999年より和歌浦に在住されていますが、和歌山に来られるまではどのようにお過ごしでしたか?

 大阪で生まれ育ち、学生時代は京都で過ごしました。社会人になってからは神戸や信州、色んな土地に行きましたが、あるとき「海の近くに住みたい」と思い、沖縄へ移住。当時の沖縄はアメリカの文化が直接入ってくるので、本土よりもはるかに先端の芸術文化がありました。映画の上映も本土よりもいち早く行っていました。

Q.本土に戻って来られるきっかけはどこにあったのでしょうか?

 あまりにも都市から離れたので、当時は田舎すぎたんです。そこで、田舎と都会のバランスの取れた場所を探し求めて、沖縄から一旦戻って、大阪で就職。美術館を開きたかったので、大阪で仕事をしながらも、土日を利用して車であちこち行って場所を探していたんです。あまり都市から離れるとお客さんが来にくくなるので、大阪から1時間くらいのところで考えていました。でも気に入る場所がなくて、どんどん南に広げていって・・・それで見つけたのが和歌浦だったんです。

Q.和歌浦の良さとはどこにありますか?

 和歌山には二面性があります。田舎の良さと都会の良さを持っているんです。都会に憧れて都会で育ちましたが、「都会よりも田舎が良いなあ」と思って。特に、和歌浦には「人を呼び込める魅力のある素材」が揃っているなって思ったんです。

  ①『アクティブゾーン』

   日中活動(スポーツやレジャー)ができる 

   ・マリーナシティ(遊園地) 

   ・セイリングセンター 

   ・紀三井寺競技場

  ②『神社・仏閣・歴史散策ゾーン』 

   歩いて歴史を知ることが出来る

   ・紀三井寺 

   ・塩釜神社  

   ・玉津島神社 

   ・東照宮

 奈良は古くからの歴史がありますが、それよりももっと古い歴史が和歌山にあるかも知れません。九州からやってきたカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)は和歌山の新宮から奈良へ攻め込みました。弥生時代後期のことです。また、もっと前の弥生時代前期(紀元前220年頃)秦の始皇帝が派遣した薬師(くすし)・徐福(じょふく)という人が不老不死の薬を求め、和歌山の新宮にやって来たという伝説があります。彼はその土地の魅力に惹かれ、帰国せずに国を作ったというのです。それが事実なら和歌山は日本の原点でもあります。

 そして、和歌浦芸術区のある新和歌浦。新和歌浦には3つの漁港<和歌浦漁港・田ノ浦漁港・雑賀崎漁港>があります。

 「ここに ③『アートゾーン』を加えたい」

廣瀬茂之氏

Q.アートゾーンとはどのようなものですか?

 芸術を発信する拠点、いわゆる芸術村。画家やミュージシャンなどの芸術家が集まり、互いに刺激し合う場所です。人数は多くなくても良くて、1人でも長けた人がいれば、周囲も刺激を受けます。そうして切磋琢磨することで、和歌山の芸術文化は飛躍的に伸びると考えています。

 また、観光に来た方は、日中は先ほど挙げたようなアクティブゾーンや歴史散策ゾーンで過ごします。そして、夜、食事した後に出かけ、ダンスや音楽などのナイトショーを楽しむ。バリ島にある“ウブド村”のようなシステムを作りたいんです。

Q.“ウブド村”とはどのようなところですか?

 1990年代中頃、絵画を集めに、バリ島に行っていたんです。

 “ウブド村”はバリ島にある観光客が多く、芸術が盛んな地域です。バリ島にはヒンズー教が残っていましたが、インドネシアでは少数派だったので、宗教をとても大事にしていたんです。当時、彼らの歌や踊りは神に捧げる芸術でした。神に向けて歌ったり踊ったり・・・・・・それではお金にはなりません。

 そこで、ヨーロッパ人が彼らに芸術を商売にする方法を教えたのです。壁や布に書いていた絵をキャンバスに書き、歌は円盤にして売るようになりました。それを観光客が持ち帰ったことで、評価されることに繋がりました。そうしてウブド村は”芸術の村”として栄えていったのです。

 ウブド村を訪れた人々は、昼間は観光をして、夕食後にまた出かけます。ウブド村では、毎晩ダンスや音楽などのショーが行われているんです。また、住民たちは昼間は畑仕事をしていますが、夜はショーに出て歌ったり踊ったりします。2つの職業を持っていて、それらの収入を合わせて生活しているんです。

Q.“和歌浦芸術区”で夜のショーを行うことで、アートゾーンの1つになるのですね?

  「和歌浦ならウブド村が作れる。」

 もともとは美術館(ギャラリー)だけの土地を探していました。でも、1999年、和歌浦を見た瞬間、「芸術を発信するウブド村くらいの規模になる」「芸術村になる」と可能性を感じました。当時の仕事を辞めて、引っ越してきました。和歌浦は昼間の観光場所が既にあるので、夜にナイトショーを行うことで、そういった成長ができるなあと思うんです。

Q.和歌浦への初めての来訪で、ウブド村との共通性を見出した廣瀬さん。その後、23年の月日が経過しましたが、感じ方に変化はありますか?

 月日が経過したことで、周りの状況は良くない方に変わりました。当時はフリーターをしながら絵を描いている人が結構いました。近隣の海の家「Bagus」に、ミュージシャンや芸術家の人たちが集まっている雰囲気がありました。経済状況もあって、フリーターでやっていくのが難しくなって、そういう人たちがいなくなっていきました。しかし、和歌浦が芸術を発信する拠点になり得るという気持ちは変わっていないです。

Q.改めて廣瀬さんにとって「和歌浦の魅力」とは何かを教えて下さい。

三拍子揃っているということ。 

  • アクティブゾーン=肉体をつかう
  • 歴史散策ゾーン=頭脳と精神をつかう
  • アートゾーン=感覚をつかう

 海も山もあっていうことなし。それを世界に発信したいんです。

 交通についても、大阪からも来やすいし、奈良からも京奈和自動車道で来られるし、四国からもフェリーがある。連絡船がある。

 「和歌山には素材はなんぼでもあります」

 私自身、映画を5本も撮りました。魅力は十分にあるので、魅力あるコンテンツをいかに発信するかだと思います。和歌浦の魅力をうまく発信すれば人が集まり、活気づいて、芸術(アート)村となると思います。

 1999年和歌浦の魅力に惹かれ、移住した廣瀬さん。そこに新たな付加価値「芸術(アート)」をつけようとしています。後編では、廣瀬さんが作り上げた その中心となるであろうスポット『和歌浦芸術区』の波乱万丈な歴史についてお聞きします。どうぞお楽しみに!

インタビュアー:峯奈緒香   文責:イナモトトモミ

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